ことば



 「鐸 声」


                      浄土宗新聞 平成31年3月号より転記

  3月、彼岸の月。今年の中日の21日は満月だそうだ。彼岸の中日と満月が重なるのはとても珍しい。貴重な日だ。夕には外に出て、西の入日を見つめて念仏を。夜は東の満月を拝み、南無阿弥陀仏。そして、この満月の念仏を契機に”睡時十念”(眠りにつく時に十念をとなえること)を日々の習慣することを勧めたい。


 ◆毎夜、就寝前に十声の念仏をとなえながら眠りにつく70代の住職がいらした。家族にもそれを勧めておられたという。ある夜、突然の心臓発作におそわれた。朝、家族が異変に気付き救急車を呼び、本堂玄関に設置してあるAEDを使い、応急手当を施した。しかし、残念ながら帰らぬ人となってしまった。「まさか今夜に」とは、思いもされなかったであろうに。予期せぬことであったが、日頃の念仏と睡時十念により、極楽浄土往生の素懐を遂げられた。


 ◆就寝後の心臓発作は、40代、50代の若い人にも多く起こっている。「あみだぶと十声となえてまどろまん永き眠りになりもこそすれ」とは法然上人の歌。睡眠に入る前の十念を勧めておられる。無常の世に生きる私たち、目覚めずにそのまま永い眠りになるかも知れない。日々の日課の一つとなれば、上人の教えと貴重な一日が活きる。ある。小説などの結末が幸せな状態で終わることだ。人の一生もハッピーエンドでありたいものだが、私たちにとって、死と幸せとは最もかけ離れた概念のように思える。

 ◆スイス生まれの画家、アルノルトーペックリン(1827‐1901)は、「ペスト」と題する絵で、黒い怪物に乗った死神が大きな鎌を振りながら街中を飛び回り、バタバタと人が倒されるありさまを描いた。この絵は、病いと死に対する私たちの恐怖を見事に表現している。人間の根本苦である生・老・病・死の中で、人生の最期に訪れる究極の苦が死苦である。

 ◆一方で、浄土の教えでは、死の先に極楽への往生が説かれる。極楽ということばのサンスクリット語の原義は「幸いあるところ」である。総本山知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」に代表される来迎図は、ベックリンの「ペスト」とは対極にある死の表現である。

 ◆来迎図では、死神にかわって阿弥陀仏のお迎えがあり、死は幸いある所への旅立ちとなる。ここには、静かに仏の来迎を待つ、この上なくハッピーエンドな死の姿がある。今日、人生の終い方が注目されているが、浄土の教えは、人生を終う心のおきどころを説き示している。

 

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